(English)
I did Vipassana Meditation all day long.
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いよいよ最終日。とはいうものの、日常はいつもどおり。朝4時に起きて4時半から瞑想。
ただ、最終日ということで、おまけのような瞑想方法を教えてもらった。これは顔を笑顔にして、ピースフルな言葉を唱えるというもの。カタチを変えることで、心が変わるというものだ。
さて、10日間に及んだヴィパサナ瞑想修行。思っていた以上の収穫だった。っていうか、これほどの強烈な体験は、旅でこれまでに味わってなかったかも。オイラ自身の価値観が完全に変わった。世界の見方が変わった。そして、この世界の見方は、オイラ自身が探し求めていた見方だった。
世界にはモノが存在していて、人はその世界に住んでいるっていうのは、なんか感覚的におかしいなって思っていたんですよ。フィリップ・K・ディックの小説にハマったのは、そういう世界の捉え方に懐疑的だったオイラの心を見事にラベリングしてくれたからだったのだろう。
さらに、自分の中にどうしても忘れることができない執着があり、それと決別するにはどうしたらいいのか、ってずっと悩んでいた。そういった心の正体にも興味があったし、記憶力とか集中力とかそういったものも、興味の対象であった。
そもそも、大学では、自己増殖するロボットなるものを研究したりして、人間とはとか生物と生物じゃないモノの境はなんなのか、ということには、並々ならぬ関心があったのだ。
ただ、これらはずっと、疑問のまま、オイラの心に蠢いていた。オイラとしては、これらは答えのない疑問なんだと思うようになっていた。
が、なんと、ここに答えがあったのだ。
ある意味、オイラの本当の意味での旅の終着点に辿り着けたのかもしれない。タブラをマスターすることが、旅の終着だと思っていたのだが・・・永遠に解けることがない、もしくは解くとしてもこの旅ではない、と思っていた疑問の答えに出くわすことができたのだから。
いや、逆に言うと、旅にはまだまだ面白要素があるってことだ。あとはタブラと餃子で終了なんて思っていたのに、伏兵のヴィパサナが、パラダイムシフトを起こしてくれちゃったのだから。
それにしても、ココまで深く到達できたのは、ヨガとタブラをやっていたってのがデカい。身体性について、自覚は出来ないながらも、意識を高めることをやっていたから、ヴィパサナの真理に近づけたんだと思う。さらに、事前にヴィパサナの本を読んでいたのも、デカい。1日目はおかげで先走りすぎちゃったんだけど、2日目から修正して、知識はサポート的に使って、ちゃんと言われた通りのことをやったのも、よかったのかも。あとは、仏教的な問題意識を持っていたってのもデカいかな。ブッダさんと同じ悩みを持っていたから、ブッダさんの悟りをトレースできたんだと思う。
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