(English)
I stayed in Varanasi.
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今日は4時起床。ヨガ→瞑想→日記書き→タブラ修行へ、と、朝早く起きてこの流れでやるべきことをやっていくと、一日が快適に送れる。今後も習慣化して続けたい流れだ。
さて、タブラレッスンのために師匠宅へ行ったら、ヤスさんが、師匠の体を揉んでいた。マッサージもできるヤスさん、こういうカタチで師匠に恩返しできるのは、素晴らしい。で、本日の師匠、非常に体調が悪いとのこと。食あたりでお腹がおかしくて、パワーがでないようなのだ。なので、レッスンはほぼ個人練習な感じ。まぁ、オイラは、いま<ちゃんとやる練習>という課題に入り込んでいるので、師匠から新しいフレーズを教わらずとも、いくらでもやることはある。師匠から「以前教えたデイリー練習フレーズNo.1の、バリエーションパターンの方をやっておくように」と指示を受け、オイラは個人練習に突入。師匠は、お休みモードに。
デイリー練習フレーズNo.1には、デラデラパターンが入っている。レーラという高速フレーズを叩く時によく使われるパターンだ。高速フレーズを叩くには絶対マスターしておかねばならないフレーズなのだが、オイラはこれの練習を怠っていた。高速で叩けるようになりたいって思っていたにも関わらず、だ。
以前のオイラは、こういうところが問題だったんですよねぇ。こうありたいと思っていて、そこへ辿り着くための道が示されているにも関わらず、その道がちょっと厳しいと、他の楽な道がないか探し始めちゃうっていう。そんな好都合な脇道なんてないのに、延々と好都合な脇道を探し続けて、時間だけが経ち、いつまでたっても出来るようにはならず、こうありたいと思う思いにずっと悩み苦しめられる、という負のスパイラルに陥っていた。
いや、まぁ、実際は、辿り着くための道が、大抵の場合、相当厳しくて、登り方が分からないから断念していたんです。だから、他の道がないか探すことに逃げるしかなかった。が、今回、ケシャヴ師匠にしがみつき、さらにヴィパサナ瞑想体験を経ることで、厳しい道の登り方がようやく分かったんですよ。これが、デカい収穫。これぞ、旅で得たいと思っていたこと。
デラデラパターンでいうならば、手を単に速く動かそうとしても限界がある。そうではなく、手を速く動かせる体の構造を理解し、その構造に従ってスムーズに動かすための筋肉を鍛え、毎日ちょっとずつ速くしていくことで、究極の速さへと近づく、と。書いてしまえば当たり前のことなんだけど、これを<ちゃんと>やるのは実は難しい。まず、手を速く動かせる体の構造を理解する、ってのは解剖学的知識が必要。オイラの場合、ヨガを解剖学的な見地でやることで、この視点を身につけることができ、ようやく理解することができた。そして、理解した後にやらねばならない体の構造に従ってスムーズに動かすために筋肉を鍛える作業、これも、実際やってみるにはテクニックが必要。集中力をコントロールし、必要な筋肉だけに瞬間的に力を加え、さらに他の部分に余分な力が入っていないかチェックしなければならない。オイラの場合、これをヴィパサナをやることで、身につけることができた。
つまり、ヨガやヴィパサナがなければ、いつまでたっても<ちゃんと出来る>ようにはならなかった可能性がある。ケシャヴ師匠の教え方は素晴らしいが、おそらくそれだけでは、不十分だったかも、なのだ。そういう意味で、ヴィパサナは絶妙なタイミングでやれたと思う。最初は、タブラから10日間も離れてしまうのを懸念していたが、逆にタブラ修行に大きなプラスとして働くことになった。
そういえば、今日、ヤスさんに「昨日気付いたんですケド、ヨシさん、叩く時の姿勢すごくよくなりましたよね」と言われたのだ。ヴィパサナの効果はこういうところにも、出ている。
全ては繋がっているのだ。一つのものを堀りさげていけば、それが分かってくる。が、以前のオイラは、一つのものを掘り下げなかった。だから、何をやってもバラバラ。下手の横好きってワケだ。
タブラ修行で、厳しくて登り方が分からない道があっても、そこから逃げずに時間をかけて取り組む深堀りの姿勢と覚悟を身につけた。そして、ヨガやヴィパサナを通して、厳しくて登り方が分からなかった道の登り方の見つけ方を身につけた。人生、これさえ分かれば、十分かも。
さてさて、3時半くらいまで、ひたすら、デラデラパターンの高速練習。以前なら絶対途中で飽きることになったのだが、今は、全然飽きない。体のコントロールという課題が変化に満ちていて、これと格闘するのがめっちゃ楽しいのだ。
練習を終え、宿に戻ってから、ヴィパサナ瞑想日記を書く。ようやく書き終わった。あとはこれをベースにして、ダイジェスト版を作ってブログにアップすることにしよう。
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