Level 3
レベル3/タブラ修行116日目

2015.12.23 / India(Varanasi) 本日 自転車0km走行 : Total 57751km走行
天気:晴 ネット:1
朝飯→サンドイッチ 昼飯→師匠宅でカレーランチ 夕飯→エッグフライドライス / 宿→Joti Cafe(ダブル300ルピー)

(English)
I stayed in Varanasi.



 今日のタブラレッスンは、ガットカイダNo.3に突入。それなりに難しいフレーズなのだが、それなりにすぐに叩けるようになった。ここでいう叩けるっていう感覚は、以前感じていた<出来てもないのに出来たと思う>のとはだいぶ違う。体をちゃんとコントロールして叩けているという実感を持って叩けていると思えた状態なのだ。まぁ、細かいところを言うと、ネの音がちゃんと出せていないとか、まだまだ修正事項があることに自分で気づくことが出来るのだが、その辺の改良点も含めてちゃんと高みへと登れる体制が自分の中で持てるようになったというのが、これまでとは全然変わってきた点だ。

 出来た、と思う心が危険だと、昨日の日記には書いたが、ここ最近感じる出来たという感覚は、これまでの<ナ>の音の出来た詐欺とは、だいぶ感覚が違うのだ。

 レベルが一つ上がった段階での出来た(と今は思っている)感覚って感じと言ったらいいのだろうか。

 たぶん、これはレベル3へ突入したってことなのだろう。

 タブラ修行を始める前、オイラはずっとレベル1を彷徨っていた。自分の価値観が絶対だと思っており、太鼓を習うにしても、自分が吸収しているのは、上っ面のテクニックだけ。しかも、その上っ面のテクニックを知ることが、習うことだって勘違いしていたから、上っ面のテクニックをただ<知って>終わらせていた。これでは、何も身にはつかないのだ。太鼓に限らず、ずっとそんな生き方をしていた。だから、大学時代から、何一つ成長していない自分にモヤモヤしていたのだ。そして、旅に出てもそのモヤモヤはつきまとった。太鼓修行をしているのに、全然上達しないってのに、もどかしさを感じていた。

 修行しているようで、実は修行なんてしていなかったんだ、と気づき、修行に対する態度を入れ替えたのが、タブラ修行だった。もちろんタブラ修行を始めた当初はそんなことには気づかなかった。いつもと同じノリで、太鼓修行をしている自分を楽しむだけのなんちゃって修行として始めたのだ。

 が、途中で気づいた。旅中の太鼓修行が最後になるから必死になったってのもあっただろうし、ケシャヴ師匠の教え方がそのことに気づかせやすい教え方だったってものあっただろうし、イランでパソコンが壊れ、パソコンに頼る生活が一変したってのもあっただろうし、理由は一つではないのだが、修行に取り組む態度が変わった。自分の価値観を捨て、師匠の言うことをただ素直に聞いて、それをただ愚直に実践していくことにしたのだ。おそらく、この段階がレベル2。タブラ修行が、これまでのあらゆる体験と全く違う感じだったのは、オイラの中でレベル2に切り替わったから。

 ただ、このレベル2が、初体験なだけに悪戦苦闘の毎日だった。自分の価値観を捨て、師匠の言うことをただ素直に聞いて、それをただ愚直に実践していく、ということをまず、自分の中に定着させるのが大変。レベル2はそれとの戦いだった。速いフレーズが早く叩きたいとか、早くたくさんのフレーズを知りたいという自分の心を抑え、師匠が毎日1つ教えてくれるフレーズだけに集中して練習していく。まぁ、これはすぐに出来るようになったのですが・・・それをちゃんとしたやり方で、愚直に実践していくっていうのが、最初はやれなかったんですわ。毎日1つのフレーズって限定するから、時間が余るように感じて、最初は、他のことをやっちゃってた。ヨガをやったり、食べ歩いたり。まぁ、結果的にヨガは太鼓のためにもなったので、一概にそれが悪いこととも言えないのだが・・・本当は、毎日1つのフレーズだけでも、ちゃんとマスターしようと思ったら、時間なんて余らないはずなのだ。後半、それに気づけるのだが、前半、特に第一回目のタブラ修行時には、それに気づかなかった。というのも、心構えはレベル2に上がれたが、練習のやり方がレベル1のままだったから。

 その練習のやり方もレベル2に上がってきたのが、第二回目のタブラ修行に突入してからだった。第二回目は、とにかく、タブラ練習に時間を費やすことに決めたのだ。当初はカレーつくりとかビデオ編集とかも余った時間でやろうと思っていたのに、それではこれまでと同じ、だと思って、とにかく、タブラ修行だけに集中することにしたのだ。で、それによって、タブラについて自分で思索する時間が増えた。今までは習うことで満足していたのだが、習ったことをベースにして、自分で思索するようになったのだ。そう、これで、結局、自分で実践していかないと<知っただけで終わる>ということを実感できた。さらに、<ナ>の音の出来た詐欺に代表されるように、自分の価値観でやって間違い続けていたことにも、気づかされた。師匠の言うことをただ素直に聞くってことすら、出来ていなかったことに気づいたのだ。

 そのことに本当の意味で気づかせてくれたのが、ヴィパサナ瞑想だった。自分の概念をはぎ取る術を教えてくれ、さらに、体のコントロール術まで教えてもらった。これで、第二回目のタブラ修行で、やってきたことが一気に理解でき、やれるようになったのだ。

 ヴィパサナ瞑想後のタブラ修行は、全然違うものになった。が、これが第一回目や第二回目の前半のタブラ修行で、ずっと模索してきたことであり、師匠が口酸っぱく教え続けてくれたことだっただけ。ヴィパサナ瞑想は、それに目覚めるキッカケを作ってくれたにすぎない。目覚めの仕込みをずっとやってきたから、目覚めることができたのだ。

 第一回目のタブラ修行で、レベル2に心構えが切り替わったところが一つの区切りではあった。以前のオイラだったら、ここで終えていたかも。一つ成長したって思えたから。でも、心構えが変わったってのは単に知ったってことに過ぎない。それが体で、態度で、習慣で変えられるくらいまでやらないと、レベル2を乗り越えたことにはならない。で、今回、ここ数日で、ようやく、心構えを変えるだけでなく、体得するまで追い込めて、レベル2を越えることができたと思う。

 ココ最近、明らかに、タブラが違う楽器のように思えるようになったのだ。叩いている手がちゃんとタブラの上でまるでダンスしているように動かせるようになった。そして、フレーズが天から降ってくるようになった。

 なるほど、これが太鼓を叩いているってことなのか、と、これまで味わったことがなかった面白さを感じれるようになった。やっと、太鼓が叩けるって思えるようになった。

 レベル3まで登ってしまえば、レベル1やレベル2がなんだったのか、ってのが見える。何に悩んでいたのか、その解決方法も、レベル3からみれば分かる。でも、レベル1に居る時には、レベル1の脱出方法が分からないのだ。レベル2に居る時には、レベル1の脱出方法が分からないのだ。

 これは辿り着いてみないとワカラナイ。ブッダの悟りと同じだ。

 レベル3に居る人が、レベル1で彷徨っている人を見て、「こうしたらいいよ」ってアドバイスしても、多くの人がそのアドバイスを素直に聞けない。

 とりあえず、レベル2を一気に乗り越えられたのは、デカい。タブラ修行に多くの時間を費やした甲斐があったってもんだ。

 今まで、レベル2に突入したことで満足しちゃってたのが、ダメだったのだ。突入しただけで終わらせちゃっていたから、またレベル1に戻っちゃってた。修行するなら、レベル3に突入するまでやっちゃわないといけなかったのだ。そうすれば、戻ったとしてもレベル2。

 さてさて、自転車旅だけでも、レベル1から脱しつつはあった。自分のやり方だけではダメだっていうのは、ハンガリーでの自転車盗難事件で学んだし、本当にやりたいことに時間を費やせていない虚しさをパソコンが壊れたことで気づいたりした。でも、基本的には、自由であり、オイラの勝手がし放題な、旅では、脱しきるのに時間がかかっていた。こういうのは、不自由な束縛(正しい束縛)に自分を追い込まないと脱することは出来ないのだ。実際、旅中に気づきがあったのは、大抵トラブル発生時で、自分が窮地に追い込まれてしまった時だし。

 旅ってのは普段の生活より、トラブル発生率は高い。だから、自分に気づける。それが自分のレベルをあげることにつながるのだ・・・ってのは、過去の旅の話なのかも。今はどこへ行ってもインターネットにつなげて、情報が手に入るから、トラブルが起こりづらい。トラブルを避けて旅ができちゃうからだ。

 本当に自分のレベルを上げたいのであれば、こういうふうに修行に絞って旅をするといいと思う。オイラはこのスタイルで旅をしてホントによかったと思う。そうじゃなければ、この旅を、ただ楽しんだだけで終わるところだった。レベル1のまま日本に戻り、またモンモンとして生きていかなきゃいけないところだった。レベル3に到達できたから、もう旅じゃなくても楽しめる気がする。だって、もう、見える世界が違うのだ。日本に戻ってドラムセットを触ったら、全然違う楽器に思えるだろう。バンド活動を再開したら、全然違う音楽を奏でることが出来るだろう。それが楽しみだ。

 日本で活躍するタブラ奏者、ユザーンさんが、今だに半年に一回はインドに戻りタブラの修行を続けている話を聞き、あの域に達していながら、なぜまだ、修行するんかい?と最初は思っていたのだが、今、その行動はよく理解できるようになった。

 修行に終わりはないのだ。山は登れば登るほど頂上が見えなくなる。

 そして、その山に登るには、道しるべとなる師匠が必要なのだ。自分だけでやっていると、同じところをグルグル廻ってしまう。自分では登っているつもりでも登っていないことが多多ある。オイラは師匠に師事しなかったので20年間、同じところを廻ってばかりいた。いや、素晴らしい人たちとは数多く出会えてきた。師匠と思える人もたくさんいた。でも、それをオイラ自身が受け入れなかった。それが、オイラのこれまでの人生の敗因だった。

 この旅だから太鼓修行をやっているって思ってたんだけど、この旅が終わっても太鼓修行をしに、インドには戻ってくるよ。

 きっと、またすぐにレベル3でのモガキが始まるだろうからだ。が、もう、脱出方法は分かった。また戻ってきて、師匠にレベル3の抜け方に付き合ってもらえばいいのだ。師匠はきっとレベル10くらいの段階に居ると思うので、そこまで道を示してくれるはず。

 いや、インドだけでないか。セネガル、トルコ、ガーナ、ブラジル、キューバ・・・オイラが第二第三の故郷と認定した場所には、オイラの敬愛する太鼓の師匠がいる。これらの地には絶対また、しかもオイラの人生が終わるまで、定期的に戻り続けます、ハイ。

 実際、今日、レッスン後、そのまま残り、個人練習をしていたら、半年前、ここで出会った日本人の男性がやってきた。シタールメインでやっているのだが、タブラもかじっているということで、ケシャヴ師匠に教わっている人だ。彼は、半年日本で稼ぎ、残りの半年、インドでシタール修行をしているという。そういう生き方もアリなのだ。




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